結婚前のラブホなんかでは当たり前のプレイだろうが、生活を共にするとなると話は別だろう。
日々の生活習慣の一つである入浴が混浴化することはプレイなのか日常なのかは人によって意見が分かれるところだろう。
嫁にとって日々の混浴は憧れの生活だった。
夜の生活での主導権が嫁側にある我が夫婦では、裸の付き合いも嫁に主導権がある。
俺が一人で入ろうとしても付いてくるし、勝手に入れば起こるだろうし仕方がないから一緒に入る。
風呂くらい一人で入らせろよ・・・
俺にとっては夫婦でお風呂は非日常だ。
そんなことを言っていてはうちの嫁の旦那にはなれない。
よく言われるように混浴はあまり良いことではない。男にとっては。
俺は裸や秘部をおおぴらにされると逆に萎える派だ。
チラ見せくらいがちょうどいい。
なんといっても、うちの嫁はエ〇嫁だ。
俺がムラムラしていようがいまいが、俺のチ〇コを触り、強弱をつけずに刺激するような嫁。
それを思うと、日々の入浴が恐怖の時間に変わる。
洗っていても観察してくるし、触られれば勃ってもくる。
当時、俺は20代半ばだ。
割と単純な嫁は、「勃った = やりたい」と思っていたようで始末が悪い。
「触らないでくれ」
心の叫びだ。
ただ、これは新婚時代の話。
20数年の付き合いの中で言えば割と短い期間だったはずだ。
同棲期間はない。結婚とほぼ同時に同居生活が始まった夫婦だ。
このパターンにも賛否あると思うが、俺は耐えられたし、それが嫁の希望だった。
同棲したら粗探しされるからな。
色々と足りてないものを、見てくれとエ〇テクでカバーしているような女だ。
というのは失礼だろうから結婚してから色々頑張ったタイプと言っておこう。
結婚するまでは娘、結婚してからも娘でいられたことは本人には幸せだっただろう。
妻になってからいわゆる花嫁修業をしていたからな。
話を混浴に戻そう。
新婚当初から俺のチ〇コは嫁にいたぶられていたわけだが、毎日S〇Xをしていたわけではない。
風呂が恐怖に変わったのは、S〇Xに至らなかったからというのが大きい。
一緒にお風呂で満足している嫁はそれ以上を望まない。
マ〇コを触っても多少は喜ぶが、それ以上は進まない。
それはなぜか。
嫁にとってはただ日常の入浴だから。
俺にとっては最大限の興奮と快感があれば、風呂でもどこでも毎日ヤれたかもしれない。
ここが、男と女の違いなのだろう。
当時は全く理解できなかったが、これは今ではよくわかる。
ただ、もし当時お風呂S〇Xをしていたら、その後のレスも苦労した子作りも無縁だったかもしれない。
今の俺の早漏もなかったかもしれない・・・
そんな俺はそれまで週1だったS〇Xが日常に組み込まれることへの対応ができなかったわけだ。
通常は相手を希望を叶えるために、ときどきお互い心の底から燃え上がるようなS〇Xがあれば夫婦はそれでうまくいく。
年の差があったから乗り越えられたのかもしれない。